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最近、急速に人間が駄目になって行ってるきがします。人間が駄目になると、当然世の中も駄目になる。人類滅亡の一途を辿って、しかもどんどん加速しているように思います。日々、古能面と向き合っていると、先人の人間性の豊かさを痛切に感じさせられ、それが文明の発展、表向きの便利と言うまやかしの言葉に置き換えられて、人は急速に人間性を失っています。携帯電話に支配され、AIだとか電気自動車だとか、馬鹿な国民がもっと馬鹿な政治家を選んで、金と権力に憑りつかれた政治家が国を動かす。本当に、良くなるはずがない。この50年以上、世の中は良くない方に向かい続けているし、経済優先の自由を取り違えた我が儘で無法な行動に若者は侵されて、もはや人間と呼ぶに相応しくない程、思考が壊れています。人間も地球上の単なる一類の生き物として、もう少し謙虚で連帯的な自然と一体化した生き方をしないと、近いうちには戦争も起きるし本当に滅亡の近道を歩むことになる。 令和5年1月末 祐自
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能面の場合で言うと、緻密で繊細で良く出来ているように見える作品が良い能面とも言えないし、粗雑で荒々しい作品が必ずしも悪い能面とも言い切れない。もっと言うと、繊細緻密過ぎると能面としての品格や表現力がひ弱になるし、逆に粗悪で荒々しい部分が残ると舞台での彫刻の強さや表情の変化に斬新な感じを受ける。要するに、荒々しく粗雑な感じもするが、よく見ると繊細で緻密な工夫がしてあるのでなければならない 。これには、荒々しい大胆な荒彫りが先ず骨にあって、思い切った中彫りを経たのちに、繊細で緻密な仕上げ彫を備えている事である。
これは、彩色にも言えるし、しいては能その本体にも言えることで序破急のようなものである。 令和3年9月 後藤 |
以前、我が家の長男と次男とで風呂に入っていた時、中学生だった長男がふと「何のために学校へ行って勉強するの?」と聞いたことがある。
私は間髪を入れずに「そりゃ親を喜こばせるために、子供は苦労して頑張って良い成績を取ったり、健康で運動も出来るように努力するため」と、答えた。
子供は、高校生の半ばまで親を楽しませるために頑張る!ただ、その為には子供が能力を少しでも伸ばしやすいように、少しでも楽しく、ご褒美でごまかされても頑張れるように、親もそれなりの過酷な努力をしなければならないのです。小学校1年生が「大きくなったら立派な医者になりたい、飛行機の操縦士になりたい、弁護士になりたい、先生になりたい、総理大臣になりたい」と言っても、誰も鼻から否定する人はすくないだろうが、高学年まで努力を怠っていると、もはや劣等生の絵空事に聞こえてしまう。それは、親を含めて、自らも可能性を狭めてしまったのだ。
ただ、高校生以上になると、特に大学生以上は、本当に自らが自らの為に勉強をすることになる。誰のためにでもなく自らの欲求を満たすために、お金にもならない目に見えて応援してくれる人もなく、苦しみながら少し楽しみながら、自分の未知の可能性に向かって無心に努力するのです。ここからが世間で、本当の学問と言える世界に入るのではないでしょうか。 |
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〇今どきの嫁の仕事
朝早く起きて(AM4:30~5:00)洗濯。リビングの床掃除
AM7時頃には孫が預けられに来て、そのあと2人、3人と9時頃までに孫が
増えて、日中1人から5人ほどの孫の面倒を見て、3時過ぎには学校から孫の巧が帰って来て、夜は毎日ハンバーグ、カレー、チキンカツ等の孫の食事を造って、PM9時頃にはひと段落で気晴らしのスーパーに買い物に行って、10時には放心状態でリビングのあんま機で大きないびきをかいて11時に最後のふろに入って風呂掃除の後、12時前にはベットで気絶状態でいびき!
その間私は、嫁は勿論、全く家族に知られない立場で、日々文句こそ言われても誰にも感謝されず応援者のいない孤独の中で、無限に増える雑用と事務処理に月の半分を奪われ、外食と酒の呑み過ぎで健康を害し、整体と針治療にお金をつぎ込んで、心身の苦痛に耐えながら本来の能面制作に辛うじて取り組む。まるで悲惨なサラリーマンのような状況で、何らかの理解を共有する同僚もなく、且つて大親友の突然の死を受け入れながら、いつか一人でゆっくりと自分の時間を過ごせることを夢見ながら、制作の為の精進と独りよがりの社会福祉と、孫の世話に追われる嫁を傍らで見ながら、もはや改善策も見られない自分の能力のなさに耐えながら、酒に頼る不本意なこの時代の能面師の生き方。令和元年7月 |
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令和元年7月28日(日)
演能で少しでも能楽出演者や、また観能に来てくれる子供たちを楽しまそうとイベントを企画するも、次々に出てくるイベントを理解しないワキ方や一部の出演者による、赤字で足りなくなった費用は、私的に寄付で大枚を補わないといけないし、企画からパンフの制作解説迄多くの雑用を熟さないといけない、しかも主催者は出演しても1円の費用も計上できない、本当に割に合わない主催者殺しのイベントは直ちにやめたいが、兎に角本年ともう一年、誰も応援すらしてくれないし、内情すら一部の関係者しか知らない状態で、何とかやり遂げたい。祐自 |
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〇まるで、他人の経営する保育所の中に仕事場を構えたような 、適時に風呂も入れない、ゆっくりと食事もとれない状況で日々の仕事をこなすのは、容易ではない。
嫁は 私がまだ現役で仕事をしているなんて言うのには、全く気付いていないように孫たちの世話に翻弄している。食事のメニューから準備、風呂に入れるまで有能な家政婦以上に献身的に孫にかかりっきりで、日々重労働をこなしている。当然、私が一緒に住んでいて我が家で仕事をしているなんてことは、頭の片隅にもない様子で、地獄の忙しさを熟すことに満足している。
私は一時でもよいから、我が家で酒のつまみをつつきながら、ゆっくりと食事をして、思う時間に風呂に入って、静かな時間を過ごしてみたいと、そんな全く実現しそうもない夢を見ながら、酔っぱらって現実逃避してる毎日!
これも、7人も子供を育ててしまった報いだと諦めないと仕方がない。 |
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世の中、日本は変わった!天皇もこんな日本人に嫌気がさして、もうどうしようもなく引退を決意したのだと思う。
きっと、「もう辞めてやるー」の 心境なのでしょう。本当に良く分かる、その気持ち!
恐怖!教訓を発するとすれば、今の日本で子宝、子だくさんは絶対にありえない!
家族が一丸となって、本家や親を支えるなんて、夢物語で絶対にありえない世界です。子はいつまでも親にぶら下がって、餌に群がるハイエナのように自分の利益の事しか考えない。
まして、嫁いできた現代の嫁なんかは、嫁ぎ先の親を助けようなどとはつま先にも感じることなく、馬鹿な旦那の親だということで、何の矛盾恥ずかしげもなく、自分の実家に甘えながら、旦那の親を食い物にする。
年末、正月だからと、普段世話になっているのだから本当に忙しい時くらいは手伝おうという気に全くならないどころか、正月を迎えるのに忙しくてじり貧の親元を、根底からつぶそうとする悪意を感じるくらい、邪魔をしに来る。
それには、自分の家の新年を、静かに清潔に厳かに迎えようという気持ちがなくなっているためである。
日本の天皇は引退できるからまだいい!ご苦労様
でも7人の子供を育てて、8人の孫を持った老夫婦は引退できない苦しみにひたすら命を削らないといけない。
これからもまだまだ、孫は増える。それまでに私は、冷たい土の下で、ゆっくりと休みたい。
これからの日本、結婚しない独り身が良いし、まして子供なんて絶対に産むべきじゃない。大きな経験から、心底教訓を述べる! 31日祐自 |
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来年2018年度は、私をはじめ能面を制作する仲間によってプロヂュースされた本格的な能を制作したい。規制の能の約束にとらわれない、能面師の考える皆が能にのめりこんで参加できるそんな楽しい能を実現する予定です。
2017年4月 ユウジ
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○今の世の中には本物が判らない、人の優しさや世の中の真実が解らない、そんな人があまりにも多くなってしまっています。
本質を見ずにすぐに軽々しく物事をなめてかかって、簡単に出来ると考えて自分を宣伝しようとし人の上に立ちたがる人。すぐに先生と呼ばれたがる人。近くに住む中途半端で暇な散髪屋が、型紙や面のサンプルを不正に手に入れただけで能面師づらをして先生になってみたり、たまたまコネだけでなった学芸員の立場を利用して、専門分野でない全く分からない分野の間違った知識を、自分を売り出すためだけに、真実を知ろうともせずに恥を顧みず、展示物をまるで自分の所有物のように思い込んで、地域文化の発展をひたすら阻害している輩。
妬み心や嫉妬心で、自らを反省することもなく時には恩人をも裏切ってその足を引っ張ろうと、裏でこそこそとありもしない噂を流したり、悪口を作り上げて邪魔をしている気分に暫しの楽しみを感じる輩。
妬みの対象になると、何処にでもいつの世にもそんな輩が排出されるもので、関わらないように暖かい目で哀れな人生を見守ってあげるしかないと思うこの頃の心境。祐自
平成28年師走 |
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○能面を知るということは単にその種類や形を覚えるということではなく、日本的だけでなく世界に通じる、美しい世界観を身につけることでもあります。
地球上の全ての現象は美しくなければなりません。
能面を深く知ることは、その美しさの根源や法則を探り探求する哲学的・宗教的な美術の根源でもあると思います。
美しいは無論、綺麗・汚いの単純な表面的世界ではなくて、万物の根源的法則や地球上の万物の内なるリアリズム、目の前の現実だけを追いかける一喜一憂の現実主義ではない、物事の永久的普遍的な内なるリアリズムだと思います。
万物は美しくなければ、成長も未来も無いのです。
美しい田畑には良い作物が効率よく育つし、美しい環境には優秀な人材が育ちます。美しい仕事場で整頓された環境でよい仕事がなされ、美しく整理洗浄された台所では、体に良くて美味しい料理が出来ます。
美しく洗車された車は事故が少ないし、美しくいようと努力する人には、幸せがやってきます。
ただ、綺麗も汚いも美しいの要素です。
嬉しいことも悲しいことも、美しい人生の要素であり、幸せの根源です。
平成28年6月 |
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●孫のために尚志の造った鎧兜です。
いつまで原型を留めることができるか分かりませんが、巧のお気に入りになっています。2016・3 |
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日本ラーメン「神楽」のマスター達と、東茶屋街のお蕎麦屋さんに行ってきました。
写真撮影は横山充君
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今年初めての筍
3/3
雪の中 |
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テスト |
新しいパソコンにホームページを移行して、編集が出来るようにするのに
12月暮れの忙しい28日に、丸一日以上を費やしてしまいました。
情けない限りです。
本日29日、やっと色々な設定が終了しました。
此れで暫くは、快適に過ごせるでしょう。
今年も一年間、たいして更新もできませんでしたが、閲覧していただいた皆様に
は感謝申し上げます。2016年も何卒宜しくお願いします。
皆様にとっても、良き新年でありますよう、お祈り申し上げます。
2015年12月30日 後藤祐自 |
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未熟であったり頑固でかたくなな人が、それなりの立場に立ってしまうと、自分の未熟さや間違った考えを正す事が出来なくなり、しかも専門分野以外の事柄や知識に関しても、知らないと言う事が言えなくなってしまうようである。専門分野以外の事に知識が及んでいなかったり足りなかったりしても、全く恥ずべきことではないし、足りない事に関して補うよう日々の努力と勉強を惜しまない態度こそが、それぞれの専門家としてその立場に立つ人の素養であるはずなのに、何でも知っていなければ恥ずかしいと誤解して、知っているふりをしたりその場しのぎの嘘を言う事になるのは、誠に恥ずべきことである。
こんな輩が多いのは、日本の学芸員と美術評論家にありがちなのは情けない話で、日本美術界が衰退しているのもうなずける事である。職員採用の際には、中途半端な知識とか学歴よりも、素直で探求心に満ちた謙虚さを持ち合わせた、人柄を重視すべきである。 |
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左は娘夫婦の地鎮祭です。工事を見守る孫に、右は4歳の誕生日の孫です。
2015年7月 |
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○上の写真
京都大徳寺にある入江波光のお墓に行って来ました。 |
○この夏に、金魚の池に入れたホテイ草が増え過ぎる為に、近所の山際の溝に捨てのですが、そこでも無数に広がって、ひと夏中次々に美しい花を咲かせて、散歩の人を和ませてくれました。 |
○玄関で育っているミニバナナの木です。本当に実が出来るでしょうか? |
私が 尊敬する、大正時代の日本画科(入江波光)の画論の中の言葉に
「時代性を追従し、抽出する芸術は、三十年、五十年にて滅びる。我々は時を超越し、地を超越し広く、世界永遠の思考の中に成長する芸術を考えなければならない」
「これで良いと思う気持ちも、足元に気を付けながらでないと狭くなる。狭いと信念でなく頑固になる」と言うのがあります。
これまで能面の世界が築かれて来たのも、突発一元的なアイデア芸術ではなくて、自らを殺してまでも写しの世界に芸術性を求めて来た、桃山・江戸期の世襲能面師達の努力の繋がりがあったからですね。目先の欲に囚われて、足元も見ないで、現代芸術だ、楽しむ美術だ等と訳のわからない事で教育者も学生も、マスコミに振り回されているから、日本の過去の天才達が生みだした芸術や美意識そのものまで、滅んでしまった現代!情けない限り! |
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永田さん夫妻と道成寺に参詣に行って 、白浜のホテルに泊めて頂きました。
お蔭で楽しい時間を過ごさせて頂いて、暫し命の洗濯をした感じです。
これからは少しでもこんな時間を大切にしたいものです。 |
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三人の心から愛する可愛い孫です。一番お兄ちゃんの巧は、幼稚園に行き出して、急にしっかりしたようですが、 ママの顔を見たら甘えてばっかりです。 |
孫達の成長は驚かされるばかりです。私はこの所、頻繁に胸から背中が苦しくなります。心臓の冠動脈狭窄が進行しているのでしょうか?人間最後まで、目の前を見て 頑張るのみです。8月4日祐自 |
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kodomogadekirutosekininmoookikunarusi ,kantanniharikondekinaijyoukyounikurusimukotoninaru. 7/17
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富山県朝日町の小川温泉に
行って来ました。
ここはお湯の泉質が軟らかくて
肌にしっとりと馴染むような温まり方で、上がってからも湯冷めしません。2013、2月12日 |
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目まぐるしい忙しさに、長らくページの更新が出来ません。
メールでのご連絡を頂いたり、お問い合わせを頂きながら返信も出来ないままに、
数か月が過ぎました。ご迷惑をお掛けします。少し時間が出来れば、途中経過を
更新するつもりでいます。 9月14日 祐自 |
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身近な周りを見渡して感じる事。パリの街は公務を司る役人がどうであれ、財力と良識を持った個人によって街全体が統制されて来たが、金沢の現状は税金を私物化しているように限られた人間の利益の為に、そして予算を執行する無能な公的機関にしがみつく私利私欲に支配された学識経験者・専門家と自称する卑劣な人間達、それぞれの利害によって街や教育機関が創られて来ている事の違いである。
平たく言うと、「自分だけが良ければ」或いは「自分の係る身近な回りさえ良ければ」発想で、それぞれの餓鬼が各々の利害で、金沢全体の未来や街の発展、学生や後継者の育成等、しいては能楽の発展等、理想を掲げた方向に進むことなく、目先の利害だけで物事が進nできたという事である。
大学の先生にはそれなりの専門的な知識はあっても、創造の能力と関連した理想が無い為に、講義は興味を引か無い惰性的な面白くないものになり、教授は自分達が無能な為に、有能な学生を排除しようとして自らを保守する。
街を理想に導かねばならない公務の上層にいる連中は、権力と金に支配されている為に、中身の無い学者や専門家に予算をばらまいて表向きの形だけを、場当たり的に繕わせる。大学の先生は取り敢えず予算を執行して、目先の形を整えて責任を果たしたと己の立場だけを誇示する。
学生や一般人は、都合良く悪人の使い走りだけさせられて、小遣い稼ぎに奔走し必要が無くなれば簡単に無視される。
これで「街を豊かに」「子育てを充実して」「高齢者に優しい街」「教育の先進に」「芸術の街に」とか、「能楽を盛んに」「職人の後継者を育てる」なんて言いたい放題空虚な言葉を並べて、未来の責任はだれも取る事がないのだから、坂道を転がり出すと加速が付いて止められないように、
破滅していく金沢を危惧するばかりです。 |
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○孫の巧に革ジャンとサングラスのパリ土産です。
聖母子像と私が抱いている姿とは、あまり違う世界です。
左はパリの街で見かけた、私の愛車TTの後ろ姿です。ヌフ橋を颯爽に走っていました。
右は街のあちこちに路上駐車される車で、どれも傷だらけです。 4月23日祐 |
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五男坊の尚志が、能面師になりたいと
本年より金沢美術工芸大学の彫刻科に合格しました。
奇跡的な合格です。
これからが大変な道程ですが、まずはおめでたい事です。
早く私も敵わない本物の能面師になって欲しいですものです。
古面に従って、古面を追い掛けて、古面を師として厳しい
剣山を一歩一歩確実に成長してほしいと願っています。
私が、しごきます。祐自 |
下の写真はパリの個店の、パリで発送する案内状です。
何が書いてあるかさっぱり分かりませんが、何かもう直ぐ展覧会が始まるんだ
といった、緊張感を感じさせますね
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宝生流本面、門外不出の「若男」の面です。
年末から年始の大変な仕事です。
お正月気分は、辞退するところです。
祐自平成24年1月29日 |
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出目満総(江戸時代初期)作の「孫次郎」です 。透通るような胡粉の美しさは、宝石のようです。江戸時代初期に流行した、河内や大和的な彩色です。 |
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こちらは忙しいばかりで一つも成長しないのに、赤ん坊は驚きの速さで成長していきます。
私の顔や能面が大好きな、孫の巧君です。
と、いった「爺馬鹿」の限りです。
父さん母さんは蕎麦屋のお店が忙しいので、毎日
我が家の主役になっています。
12月29日 |
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とうとう、孫が出来ました。平成23年7月5日生まれの「横山 巧」君です。宜しくお願いします。
能面に優る表情が自然に出来るのは、羨ましい限りです。先日、甫閑作の「増髪」の写しをしました。平成23年7月25日 |
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● 大阪梅田の大阪能楽堂で、「和の会」があって、と言っても宝生の家元和英師の「和の会」ではなくて、大西同門会の和の会の催しで、「班女」を拝見して来まし
た。「班女」の面はシテの永田さんに今年3月にお渡しした面で、演能を楽しみにしていましたが、演能前に大西さんお社中の中で色々あったみたいで、ぎりぎりまで永田さんは大変な思いをされたようで、無事に終わって本当に良かったです。
「班女」の面は曲目に最適な表情を演出してくれ、本当に美しくシテに溶け合っていました。一安心、永田さんに感謝です。6月25日 祐自 |
●京都の金剛能楽堂で全国宝生流学生能の大会があって、宝生の家元による「殺生石」が、何と3800円で観能できてしかも会場は空いている状態で、何とも贅沢な時間を過ごす事が出来ました。今回は、後に使用した大阪辰巳家の「小飛出」が迫力があり、大変舞台で生きていた。
まあ、現在の家元は若くて敏捷性もあるから、殺生石の後のような強くて機敏な舞は本当に美しくて形が綺麗で、そのせいもあって、辰巳家の少し小ぶりなこの小飛出が実に良く似合うのでしょう。素晴らしい舞台でした。6月24日 |
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嫁に行った長女が御主人と一緒に、一日遅れの父の日をしてくれました。(^−^) |